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「足るを知る」。ことわざのように聞いたことはあっても、「我慢しなさい」「ぜいたくを言うな」というお説教に聞こえて、少し苦手な人もいるかもしれません。
でも、もとの文を読んでみると、印象がずいぶん変わります。この言葉は「我慢しろ」とは言っていないからです。
この記事では、「足るを知る(知足/ちそく)」がどこに書かれている言葉なのか、よくある勘違い、そして私がこの言葉をいちばん好きな理由を書きます。
ほかの禅語もまとめて知りたい方は、心が軽くなる禅語10選|日常で使える禅の言葉と意味 もどうぞ。この記事は、その8番目「知足」を深く読む続きです。
先に結論|知足は「もう持っているものに気づく」こと
- 「足るを知る」は、お釈迦さまの最後の教えとされるお経『遺教経(ゆいきょうぎょう)』と、中国の古い思想書『老子』の両方に出てくる考え方
- 「欲を捨てろ」「我慢しろ」ではない。お経では「欲を少なくする(少欲)」と「足るを知る(知足)」は別の教えとして並んでいる
- 知足は、すでに手もとにあるもので満ち足りること。「もっと、もっと」と外を探し回るのをやめること
- 京都・龍安寺のつくばいの「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」は、この考え方を4文字にしたもの
出典①|お釈迦さまの最後の教え『遺教経(ゆいきょうぎょう)』
『遺教経』は、お釈迦さまが亡くなる前に弟子たちに残した教えをまとめたとされるお経です。正式には『仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっすいはつねはんりゃくせつきょうかいきょう)』といい、鳩摩羅什(くまらじゅう)という僧が中国語に訳しました。禅宗では今も大切に読まれています。
このお経に、「知足」についてこう書かれています。
知足之人、雖臥地上猶為安楽。不知足者、雖処天堂亦不称意。不知足者雖富而貧、知足之人雖貧而富。
やさしく言い直すと、こうなります。
足るを知る人は、地面に寝ていても安らかだ。足るを知らない人は、天の宮殿にいても満足しない。
足るを知らない人は、お金があっても貧しい。足るを知る人は、お金がなくても豊かだ。
ここで言っているのは、「地面に寝なさい」ではありません。満ち足りるかどうかは、持っている量では決まらない、ということです。
出典②|中国の古い思想書『老子』
同じ考え方は、中国の思想書『老子(ろうし)』にも出てきます。
- 第三十三章「知足者富(足るを知る者は富む)」:足るを知っている人こそ、本当に豊かだ
- 第四十六章「禍莫大於不知足(わざわいは、足るを知らないことより大きいものはない)」「知足之足常足矣(足るを知って満ち足りる人は、いつも満ち足りている)」
『老子』は仏教とは別の、中国の古い思想です。仏教のお経と中国の思想書、出どころの違う2つが、同じことを言っているのは面白いところです。
龍安寺のつくばい「吾唯足知」

京都の龍安寺(石庭で有名なお寺)には、「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と刻まれたつくばい(手を洗う石の鉢)があります。真ん中の四角い水の口を「口」の字に見立てて、上下左右の4文字が共有する、凝った作りです。
このつくばいは水戸光圀(水戸黄門)が寄進したと伝わります。いま境内で見られるのは複製だと紹介されています。寺の説明では、言葉はお釈迦さまの最後の教えからとられた、とされています。
龍安寺の石庭については 枯山水とは?禅の庭が伝える”余白の美”を解説 に書きました。
よくある勘違い3つ
勘違い1|「我慢しろ」「欲を捨てろ」という意味
いちばん多い誤解です。でも、『遺教経』をよく読むと、「知足」のすぐ前に「少欲(しょうよく)」という別の項目があります。
- 少欲:まだ持っていないものを、むやみに欲しがらないこと
- 知足:すでに持っているもので、満ち足りること
お経はこの2つを分けて書いています。つまり知足は、欲しい気持ちを押さえつける「我慢」の話というより、もう手もとにあるものに目を向ける話です。我慢は苦しいですが、「もう持っていた」と気づくのは、むしろ楽になります。
勘違い2|「向上心を捨てて、今のままでいい」という意味
「足るを知ったら、がんばらなくなるのでは?」と思う人もいるかもしれません。
でも『老子』の第三十三章では、「知足者富(足るを知る者は富む)」のすぐ後に、「強行者有志(努めて行う者は、志がある)」と続きます。足るを知ることと、努力することは、同じ章に並んでいるのです。
満ち足りることと、成長しようとすることは、ぶつかりません。持っていないものを数えて焦るより、持っているものを使って前に進む。そういう読み方ができます。
勘違い3|龍安寺のつくばいが出典
「吾唯足知」は龍安寺のつくばいで有名になりましたが、考え方そのものは、もっと古いお経や『老子』にあります。つくばいは、それを4文字で形にしたものです。
私がこの言葉を思い出すとき

禅語の中で、私がいちばん好きなのがこの「足るを知る」です。
物であふれている時代です。でも、必要なものは、たいていもう持っている。私はそう思っています。
この言葉を思い出すのは、買い物のあとです。
欲しいものを「いいわ、いいわ」と次々に買っていっても、切りがありません。買う前は、すごく欲しい気持ちになっている。なのに、いざ手元に届くと、じつはそうでもなかった。そんなことが、私にはよくあります。
私の感覚では、ポチった瞬間にドーパミンが出て、それで終わり、という感じです。欲しかったのは物そのものより、買うときの気持ちのほうだったのかもしれません。うまく言えないのですが。
だから私にとっての「足るを知る」は、欲しい気持ちを我慢することではありません。持っているものと、本当に要るものを見比べて、必要なものを選び取っていくことです。上に書いた勘違い1の「我慢しろ、ではない」は、私の実感でもあります。
暮らしの中での使い方
買う前に「もう持っていないか」を思い出す
欲しい物を見つけたとき、カートに入れる前に一度だけ、「似た物を、もう持っていないか」を思い出してみる。それだけで、知足は実行できます。
大掃除で「持っている物」を見直す
年末の大掃除は、自分が何を持っているかを見直すいい機会です。しまい込んでいた物が出てくると、「もう持っていた」と気づくことがあります。壁紙の掃除のしかたは 大掃除で壁紙(クロス)の汚れを落とす|クロス職人のやり方と、やってはいけないこと に書きました。
よくある質問
Q. 「知足」と「吾唯足知」は同じ意味ですか?
ほぼ同じです。「吾唯足知」は「われ、ただ足るを知る」で、知足を「私は」という形で言ったものです。
Q. 足るを知ったら、何も買ってはいけないのですか?
そんなことはありません。必要なものは買っていい、というのがこの記事の読み方です。知足は「買うな」ではなく、「もう持っているのに、足りないと思い込んでいないか」に気づくための言葉です。
Q. 似た意味の禅語はありますか?
「平常心是道(びょうじょうしん これ どう)」が近いと思います。禅の問答集『無門関(むもんかん)』の第十九則にある話です。弟子の趙州(じょうしゅう)が「道(仏の道)とは何ですか」とたずね、師の南泉(なんせん)が「ふだんの心が道だ」と答えました。
特別な何かを外に探しに行かなくても、ふだんの暮らしの中に、もう答えがある。「もう持っているものに気づく」知足と、向いている方向が同じです。
ちなみに、スポーツで言う「平常心(本番でも緊張しない強い心)」とは少し違います。こちらは「いつもどおりの、ふだんのまま」という意味です。くわしくは 禅語10選 の6番目に書きました。
Q. 仏教徒でなくても、座右の銘にしていいですか?
問題ありません。「足るを知る」はすでに日常の日本語になっていますし、『老子』のように仏教以外の思想にも出てくる言葉です。
まとめ|足りないものを数えるより、持っているものに気づく
- 「足るを知る」は、お釈迦さまの最後の教えとされる『遺教経』と、中国の『老子』の両方に出てくる
- 「我慢しろ」ではない。お経では「少欲」と「知足」は別の教え。知足は、もう持っているものに満ち足りること
- 向上心を捨てる話でもない。『老子』では「知足者富」のすぐ後に「強行者有志」が続く
- 龍安寺のつくばい「吾唯足知」は、水戸光圀の寄進と伝わる
物があふれている時代だからこそ、一度だけ立ち止まって、手もとを見てみてください。必要なものは、たいていもう持っています。
心を整えたいときに、スマホの待ち受けを替えてみるのもおすすめです。禅の音楽を作っている「Zen Monk’s Journey」で、壁紙を無料で配っています(英語のページですが、金額に「0」と入れれば無料でダウンロードできます)。
参考:『仏垂般涅槃略説教誡経(遺教経)』鳩摩羅什訳(大正新脩大蔵経 No.389・CBETA)、『老子』第三十三章・第四十六章(いずれも2026年11月時点で原文を確認)。